夏輝(なつき)とお母(かあ)の毎日のこと・・・福島の動物たちを思う

 今日は、ずーっと前からどうしてもお話ししたかったお母(かあ)のブログ…だよ
 東日本大震災の後に、福島第一原発20キロ圏内に取り残された家畜やペットの写真を撮りながら保護活動をした方が写真集を出版しました(残された動物たち・待ち続ける動物たち)。その本には食糧のない中で飼い主を待ちながら餓死したり、やせ衰えながらもなんとか生きのびている家畜やペットのとても悲惨な姿が納められていて、1枚1枚ページをめくる度に胸が押し潰されそうになり涙が溢れてきます。
 目を背けたい…なのに何度も何度も見続けてしまう…自分は何もしてあげられなかったけど…
 本の中に、何度見ても私の気持ちを震わせ必ず涙してしまう写真と記事があります。
 1枚は何日も食べていないから凄くお腹がすいているはずなのに、食べるよりも人恋しくて、頭を撫でて欲しくて、作者にすりよってくる犬の写真。「ほらほら先にごはんを食べなよ」と言われても「人と会えたことが嬉しいよ~~」そんな表情で頭を撫でてもらっています。
「ずっとひとりぼっちで寂しくて心細かったんだね…ナツキがこんな状況になったらどうだろう?このワンちゃんみたいに人間を信頼して保護されて無事自分たちの元に帰れるかな?それとも、人間不振で野犬になってしまうか…餓死してしまうのか…」その写真のワンちゃんとナツキが重なり泣けてくるのです。
 もう1枚は、餌を与えられず放牧もされずに餓えと喉の渇きで死んでいった牛たちと牛舎内の写真。私の実家(白石市)でも以前乳牛を飼っていました。草を食む音、バケツから水を飲む時の豪快な音、優しい目、鼻息、ブラッシング時の気持ち良さそうな表情、産まれたての子牛の匂い…。牛たちのいる牛舎は父と母のいる安らげる場所であり、牛の存在は辛いことがあった時の自分の癒しでした。
 本の一節「給水レバーを鼻先で押すと水が出る仕組みだった給水器は、電気が途絶えた途端に作動しなくなったに違いない。なぜ水が出ないのか、それもわからず、きっと何度も何度も押しながら彼らは死んでいったのだろう」その写真に添えられた文面を読むと、牛たちの姿が浮かびまた泣けてくるのです。
 未曾有の大震災、しかも放射能の危険があった地で起こった悲惨な出来事。その場に置いてこなければならなかった飼い主さんの気持ちを思うと責めることはできません…天災を防ぐことは難しいけれど、わけもわからずに亡くなってしまった生き物たちの死を思えば人災はきっと防ぐことができると思います。あんなに悲しいことが二度と繰り返されませんように。

 今日も、敷居に手と顎をのっけてのほほんとまどろむナツキを撫でながら、沢山の命のことを思ったお母(かあ)でした。

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